2019年08月13日

あがた森魚(赤色エレジー)

あがた森魚(赤色エレジー).jpg


あがた森魚


北海道留萌市出身のフォークシンガー、シンガーソングライター

1965年、函館ラ・サール高校2年の夏、ラジオで聴いたボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に衝撃を受け、作詞作曲を始める。

退職した父が家族で横浜に住みたいと言いだし。家族と共に上京し、一年浪人後、明治大学に進学。

1969年12月 URCレコード事務所へ赴き、早川義夫らの前で歌い、早川に薦められ、1970年1月「IFC前夜祭」で初ステージに立つ。

1970年3月、鈴木慶一と出会い、「アンクサアカス」を結成(バンド名・メンバーは変動し、のち、あがた森魚とはちみつぱいへと発展)。斉藤哲夫、野澤享司らとも親交を深める。

1971年8月、中津川フォークジャンボリーにあがた森魚と蜂蜜ぱいとして参加。

春一番コンサートにも同様の組み合わせで参加。

これを観たキングレコードのディレクター・三浦光紀にスカウトされ、三浦が1972年、キングレコード内に設立したベルウッド第一弾アーティストとしてメジャーデビュー。

1972年4月25日、林静一の同名漫画を題材としたシングル「赤色エレジー」で50万枚を売り上げるヒットになり広く知られるようになる。


赤色エレジー


1972年4月25日に発売されたあがた森魚のシングル曲

作詞・編曲:あがた森魚 / 作曲:八洲秀章

林静一の同名劇画に、あがたが感銘を受けたことにより作られた。そのため、林がシングル盤のジャケットイラストを描いている。

作曲者が八洲秀章となっている。理由は、曲が八洲の作曲した「あざみの歌」に似ていることからレコード会社側の判断で八洲の作曲と表記したのであって、実際は作曲もあがたが手掛けている。

なお、蜂蜜ぱいがバック演奏を担当していることから、シングル盤のレーベルでのアーティスト表記は「あがた森魚+蜂蜜ぱい」となっている。

ベルウッドレーベル最初のシングル盤として発売され、60万枚を売り上げ、大ヒットした。

Wikipedia

暗い歌ですが大ヒットしました。あがた森魚と言えば(赤色エレジー)ですね

1972年の映画「女番長ゲリラ」にあがた森魚も出演していて、この曲を唄っています。その動画がありました。その当時のあがた森魚が見れます。貴重です。








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ちあきなおみ


吉幾三


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posted by aritama at 13:49| Comment(0) | 1972年のヒット曲

2019年08月06日

杏里(悲しみがとまらない)




悲しみがとまらない


1983年11月5日に発売された杏里の14枚目のシングル

作詞:康珍化、作曲:林哲司

「オリビアを聴きながら」、「CAT'S EYE」と共に、杏里を代表する一曲でもあり、翌月発売で6枚目のオリジナルアルバム『Timely!!』からの先行シングル曲であった。

前作「CAT'S EYE」に引き続き、オリコンでシングル・チャート10位圏内にランクされ、また「ザ・ベストテン」でも9週間10位以内にランクインして連続大ヒットを記録する。

プロデューサーの角松敏生が思う当時の歌謡ポップス界において旬の作詞家であった康珍化と作曲家であった林哲司に依頼し、彼らに「友達に彼氏を奪われてやるせなくなるうんぬん」という詞世界とそれに合わせた曲調を説き、角松自身はプロデューサーに徹したという。

Wikipedia

彼氏を取られた悲しい歌ですが、曲は明るいですね、杏里も他の歌手も明るく唄っています。良い曲です。

2008年11月5日には、稲垣潤一&小柳ゆきのデュエットによるカヴァーシングルがリリースされたとのことで、動画ありました。

カヴァー動画掲載しました。ジェニファーのカヴァーは、ピアノでバラード調で唄っています。





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稲垣潤一 & 小柳ゆき


松田聖子


工藤静香


ジェニファー


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posted by aritama at 16:00| Comment(0) | 杏里