2018年08月24日

石川優子&チャゲ(ふたりの愛ランド)

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ふたりの愛ランド


1984年4月21日に発売された石川優子とチャゲのコラボレーション・シングル

作詞:チャゲ・松井五郎 / 作曲:チャゲ

当時、チャゲ&飛鳥のシングルA面は、全て飛鳥涼がメインボーカルをとっていたために、チャゲは、シンガーソングライターとして単独でもやっていけるほどの充分な実力を有しながらも、自身がメインボーカルを務める楽曲は常にB面にとどまっており、彼の目立つ機会は皆無といっていい程だった。

ヤマハ音楽振興会としても、チャゲを前面に押し出して売り出す機会を狙っていた。

そんな折に、JALのCMソングとしてヤマハに依頼があり、そこでチャゲの作った「ふたりの愛ランド」に白羽の矢が立ったのであった。

ただ、あまりにもチャゲ&飛鳥とは曲調が異なり、本人もシャレのつもりで書いたものだっただけに、ヤマハの制作プロデューサー・山里剛が、(飛鳥と組むのではなく)前年にJALのキャンペーンソングを担当した石川優子のマネージャーとディレクターに石川と組むことを提案し、それが採用された。

チャゲは当初、この曲は男女のデュエットを想定せずに自分の歌いやすいキーで作曲していたため、その後キーの合わせ方にかなり苦心したという。

累計では45万枚を売り上げた。

オリコン3位の大ヒット曲

wikipedia

歌詞の「夏夏ナツナツココ夏」のココ夏はココナッツだと思っていました。変更したそうです。

歌詞は沖縄をイメージして書かれており、当初は歌詞に「ココナッツ」と入れていたがスタッフの一部から「沖縄にココナッツはどうか」(ココナッツは沖縄にはないため)と言われ、苦肉の策で「ここは夏」の「ココ夏」に変更して逃げ切ったというエピソードがある。

とのことでした。




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posted by aritama at 12:41| Comment(0) | 1984年のヒット曲

2018年08月20日

梓みちよ(メランコリー)

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梓みちよ


福岡市博多区出身の歌手、女優。

1960年代から1970年代を中心に数曲のヒットを飛ばした。

アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。

1960年、福岡女学院高校1年修了で宝塚音楽学校に入学。

同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格し、上京し契約する。

約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューし、歌手として本格的に活動を始める。

『夢であいましょう』の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞。

また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。


メランコリー


1976年9月21日発売の梓みちよのシングル・レコードである。

作詞: 喜多条忠、作曲: 吉田拓郎

1976年大晦日の『第18回輝く!日本レコード大賞』で編曲賞を受賞。

続いて『第27回NHK紅白歌合戦』に、梓みちよ自身同曲で通算10回目の出場を果たした。

翌1977年に入ってからもロングヒットを続けた。

オリコン11位

wikipedia

この曲は、吉田拓郎の作曲ですが、エピソードがありました。

梓みちよのレコーディングでは「アナタは歌がうまいから困るんです。僕としては、もっと下手に、そう、思い切って下手クソにやってほしいんです」と言うと、梓は『メランコリー』を目一杯下手クソに歌って一言、「これでいいわけ。フン、変なの、アンタたちの音楽」と言ったという。

ただ、梓は拓郎はレコーディングには来なかったと話している。

この曲の作曲は拓郎だが「緑のインクで手紙を書けばそれはさよならの合図になる」と書かれた喜多条忠の作詞もヒットした。

それまでフォークの作詞家だった喜多条に「お前に歌謡曲の作詞はムリだろ?」と言う拓郎の挑発に喜多条が奮起して作詞を手掛けたもの。

1976年、梓も紅白歌合戦で歌う際、この曲の短縮を要求されNHKともめたが出場した。

いろいろあったんですね




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posted by aritama at 13:26| Comment(0) | 1976年のヒット曲