大阪市天王寺区出身の歌手、タレント
天王寺区にある大阪市立真田山小学校を卒業後、私立城星学園中学校へ入学。
そのまま私立城星学園高校に進学するも父親が勝手に退学届けを出したため、在学期間はわずか3日間で中途退学となった。
小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。
174cm(デビュー当時)の長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ社長・堀威夫直々にスカウトされる、当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪と神戸三宮で活動していたが実際にデビューできたのはボーカルの和田とオルガンの夏のみであった。
芸名の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は当て字である。
デビュー当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。
1968年10月25日、「星空の孤独」でレコードデビュー。
古い日記
1974年2月25日に発売された和田アキ子の18枚目のシングル。
作詞 安井かずみ 作曲 馬飼野康二
和田の代表曲のひとつとして知られている。
吉村明宏による「あの頃は ハッ!」というものまねで有名であるが、「ハッ!」のタイミングは和田本人が歌唱する時とは異なっている。
随所に入る「ハッ!」という掛け声は、スティービー・ワンダーを意識したものである。
wikipedia
曲は覚えているけど曲名を忘れていて、古い日記てフォークソングみたいな曲名だなと思ってしまいました。曲を聴いて、なんだこれだったかと思いました。
この曲はかなり有名な曲ですが、オリコンでは44位でした。やはり吉村明宏のものまねが有名にしたのかもしれないです。
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