2016年06月12日

田原俊彦(哀愁でいと)

田原俊彦


山梨県甲府市出身のアイドル歌手、俳優、タレント。

幼い時に父を亡くして、田原自身を含む4人の子供を抱えた母子家庭の生活は貧しく、また芸能界に対する強い憧れもあって、貧しい生活から早く抜け出して一家を楽にさせるには芸能人になって成功する以外に道はないと中学時代から決意していた。

高校に入学した1976年5月、ジャニーズ事務所に履歴書を送ったが、返事が来なかったため、同年8月、事前連絡もせずに東京の事務所を直接訪問。事務所のスタッフからジャニー喜多川社長の居場所を教えられて日劇へ行き、ジャニー本人と直談判の末に入門を認められる。

高校時代は事務所のレッスンのため週末ごとに甲府市と東京の間を電車で往復する生活を続けた後、1979年3月1日、高校卒業と同時に正式に上京した。母は当初、息子の芸能界入りに反対していたが、息子が正式に上京する時には、「やっぱり芸能界は無理だった、なんて言って逃げて帰って来るんじゃないよ」と言って送り出したという。

学園ドラマ『3年B組金八先生』に中学生役で出演が決まった時、共演の近藤真彦と野村義男は実際に中学生(当時15歳)であったが、田原はすでに18歳(放送中に誕生日を迎え19歳)で高校を卒業していたため、事務所側の意向もあり、1歳若く年齢を詐称。

その年齢との辻褄を合わせるために、公式のプロフィールも「高校を2年一杯で中退」に変更しなければならなかった。

この件については、後に歌番組の中で謝罪している。なお、『金八先生』で共演した近藤と野村とは、共に「たのきんトリオ」の愛称で人気を博することになった。

『金八先生』に出演していた当時の田原の人気は凄まじく、全国から送られてくるファンレターの数が最高で月18万通にも達したという。


哀愁でいと


1980年(昭和55年)6月21日にリリースされたデビュー・シングル。

オリコンチャート上の同曲の推定売上は71.9万枚で、田原のシングルでは最大のセールスを記録している。

「ザ・ベストテン」では登場8週目の1980年8月28日より3週連続で第1位を獲得した。

また同曲で1980年大晦日放送の「第31回NHK紅白歌合戦」へ初出場を果たした。

wikipediaより抜粋



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posted by aritama at 13:59| Comment(0) | 田原俊彦