2017年10月10日

シリア・ポール(夢で逢えたら)

シリア・ポール


Celia Paulは、大阪府出身の女優・歌手。

国籍はインド。ポール聖名子、エルザ・ポールは姉妹。

子供の頃から、テレビ・映画に子役として出演した。

1969年、ニッポン放送「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」初代DJ「モコ・ビーバー・オリーブ」の「オリーブ」として人気があった。

1977年、ソロアルバム『夢で逢えたら』で再デビューする。

また、1970年代後半から1980年代にかけては、FM東京のDIATONE ポップスベストテンやサントリー・サウンドマーケットといった音楽番組のパーソナリティも担当した。


夢で逢えたら


1977年6月1日に発売されたシリア・ポールのシングル

大瀧詠一が作詞作曲、プロデュースした楽曲。

数多くのカバーがあり、ナイアガラ・レーベル随一のスタンダード曲である。

未発表であった大瀧詠一本人による歌唱版(セルフカバー)が、大滝の死後の2014年12月に公表された。

1976年、吉田美奈子、シリア・ポールが最初に歌っているが、一般的には吉田美奈子の代表曲として知られている。

元々はアン・ルイスに書いた楽曲であったが、当時の彼女のスタイルに合わずにボツになる(のちにルイスも英語詞で歌うことになる)。

「大瀧詠一作品集 Vol.2」のライナーの自身談によると、シュレルス(The Shirelles)の「フーリッシュ・リトル・ガール」(Foolish Little Girl)を下敷きの一つとして作ったという。

wikipedia

吉田美奈子とシリア・ポール記憶にないな、(夢で逢えたら)は大瀧詠一の曲であることは知っていましたが、大瀧詠一自身が歌って発売されたのは、2014年なんですね!アルバム『Best Always』(ベスト・オールウェイズ)に収録されています。

シリア・ポールの動画がありましたが、画質がかなり悪いです。大瀧詠一が歌う(夢で逢えたら)も掲載しました。

シュレルスの「フーリッシュ・リトル・ガール」も掲載しました。やはり少し似ていますね、ぜひ聴いてみてください。




夢で逢えたら




Best Always

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シュレルスの「フーリッシュ・リトル・ガール」


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posted by aritama at 12:40| Comment(0) | 1977年のヒット曲

2016年12月08日

太川陽介(Lui-Lui)

太川陽介


京都府中郡大宮町(現:京丹後市)出身の俳優、タレント、元アイドル歌手

1976年、「陽だまりの中で」でレコードデビュー。

デビュー時のキャッチフレーズは「昇れ!太陽くん」。

芸名は都倉俊一によるものと言われているが、実はサンミュージックプロダクション創業者の相沢社長が決めたもので、「太陽という文字を入れてみました」とのことである。

1978年よりNHK総合「レッツゴーヤング」の司会を務めるなど、昭和50年代を代表するアイドルであった。

その後アイドル歌手から俳優・タレント業に転向。

もともとアイドルとしては茶目っ気や庶民性を前面に出すタイプであったこともあり、ホームドラマやコメディに適した俳優としてNHKなどでは特に厚遇された。

現在では主に舞台を中心に、ラジオパーソナリティ、旅番組などで幅広く活動している。


Lui-Lui


1977年7月5日発売の太川陽介のサード・シングルである。

作詞: 石原信一、作曲: 都倉俊一

同曲はオリコンチャートにおいて週間最高では38位、6.3万枚のセールスを記録、太川自身最大のヒット曲である。

1977年12月大晦日に放映の「第19回日本レコード大賞」など新人賞を多数受賞した。

明るい曲調に太川自ら軽やかなステップを踏み、親指と人差し指を「L」の字の格好にし、「ルイ・ルイ!」と叫ぶポーズがのトレードマークとなっている。

今現在でも懐メロの音楽番組などで、太川自身の代表曲として同曲を歌唱披露している。

wikipedia

この動画は、おじさんになった太川陽介が、その当時の振り付けについて解説しています。『レッツゴーヤング』の動画で、狩人も出演していて、一緒に踊っています。



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Lui-Lui (MEG-CD)

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posted by aritama at 14:38| Comment(0) | 1977年のヒット曲

2016年12月02日

尾崎亜美(マイ・ピュア・レディ)

尾崎亜美


京都府京都市北区出身のシンガーソングライター

8歳でクラシック・ピアノを習い始める。

16歳頃からポップミュージックに興味を持ち、アマチュアのサークルに参加、作詞作曲をするようになる。

京都府立山城高校時代に、地元ラジオ局・近畿放送の公開オーディション番組「アクションヤング大丸」に他校の男子生徒と2人組で出場、司会の諸口あきらや審査員の東芝EMI関係者に絶賛される。

その後一時期、やしきたかじんのバックバンドでピアノを担当したこともある。

1976年、シングル「冥想」で東芝EMIよりデビュー。

芸名の「亜美」はフランス語で「友人」を意味する「ami(amie)」に由来する


マイ・ピュア・レディ


1977年尾崎亜美の3rdシングル

資生堂のCMに起用されヒット、一躍注目を浴びる。

wikipedia

尾崎亜美は、いい曲作りますね、この曲もいいですし、他にも良い曲たくさんあります。松田聖子の「天使のウィンク」、杏里の「オリビアを聴きながら」は尾崎亜美の代表曲ですね



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尾崎亜美(カセット・テープ)

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posted by aritama at 14:46| Comment(0) | 1977年のヒット曲