2019年05月09日

森田童子(ぼくたちの失敗)

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森田童子


東京都出身の女性シンガーソングライター

全共闘などの学園闘争が吹き荒れる時代に友人が逮捕されたことをきっかけに、1970年に高校を中退。

気ままな生活を送っていたが、20歳のとき友人の死をきっかけに歌い始める(この亡くなった友人をモチーフにした曲が、1975年10月に発売されたシングルレコード、デビュー曲となる「さよなら ぼくの ともだち」である)。

ライブハウスデビューは1973年の西荻窪ロフトであった。

以後主にライブハウスを中心に活動する。

1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年のアルバム『狼少年 wolf boy』と新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する。

カーリーヘアにサングラス、男性的な服装というスタイルが特徴で、コンサートはもちろんレコードジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。

森田童子は芸名であり、本名は非公開。芸名は笛吹童子に由来

加えて実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に生活感を滲ませることを避けていた。


ぼくたちの失敗


1976年11月21日に発売された森田童子のシングルレコード、2ndアルバム『マザー・スカイ』に収録されている。

作詞・作曲:森田童子

1993年のテレビドラマ『高校教師』の主題歌に使用されたことで、一躍脚光を浴びることとなった。

引退して10年後に、そのテーマによって物議を醸したドラマの主題歌となったことで、すでに引退していた森田本人も予想しない形でリバイバルヒットとなった。

このヒットをきっかけにベスト盤の発売が企画され、またオリジナルアルバムもすべてCD化された。

1988年に初期の作品4枚は既にCD化されていたが、1993年にはすでに廃盤となっていたため、改めて全作品が再発売された。

1993年のヒットを受けて復帰の要望もあったと言われるが、森田本人にはすでにその意思はなく、取材にもほとんど応じなかったため、結局何の音沙汰もないままヒットしたことが独り歩きした状態となる。

2003年には再び「高校教師」がリメイクされ、同ドラマの主題歌に同じ曲が使われた。

wikipedia

森田童子(もりた どうじ)という名前とカーリーヘアにサングラスで、初めて見たときは男性かと思いました。曲を聴くと可愛らしい声の女性ですね

「高校教師」はドラマの人気も高く、映画も作られましたので、この曲を知っている人は多い気がします。ただ43年も前の曲だと知っている人は少ないのかもしれません。

mondialito(モンディアリート)という日本のバンドが「notre echec」という曲名でこの曲をフランス語でカバーしていました。ボーカルのjunkoはフランス在住であり、本人による歌詞の殆どがフランス語であるとのことでした。フランス語もこの曲に凄く合いますね!


この曲「ぼくたちの失敗」にはライブ映像やオフショットなどで編集されたビデオクリップ(モノクロ映像)が存在している。

これは1980年に東京12チャンネルで放送された森田童子の特集番組の映像を素材として、2003年に東芝EMIが作成したものである。この番組内では「ぼくたちの失敗」は演奏されていないため、ライブシーンに使われた映像は、実は「ラスト・ワルツ」を演奏している映像である。

とのことで、たぶん掲載した動画がそれなのではないかと思います。




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notre echec


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posted by aritama at 15:00| Comment(0) | 1976年のヒット曲

2018年08月20日

梓みちよ(メランコリー)

梓みちよ(メランコリー).jpg


梓みちよ


福岡市博多区出身の歌手、女優。

1960年代から1970年代を中心に数曲のヒットを飛ばした。

アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。

1960年、福岡女学院高校1年修了で宝塚音楽学校に入学。

同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格し、上京し契約する。

約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューし、歌手として本格的に活動を始める。

『夢であいましょう』の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞。

また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。


メランコリー


1976年9月21日発売の梓みちよのシングル・レコードである。

作詞: 喜多条忠、作曲: 吉田拓郎

1976年大晦日の『第18回輝く!日本レコード大賞』で編曲賞を受賞。

続いて『第27回NHK紅白歌合戦』に、梓みちよ自身同曲で通算10回目の出場を果たした。

翌1977年に入ってからもロングヒットを続けた。

オリコン11位

wikipedia

この曲は、吉田拓郎の作曲ですが、エピソードがありました。

梓みちよのレコーディングでは「アナタは歌がうまいから困るんです。僕としては、もっと下手に、そう、思い切って下手クソにやってほしいんです」と言うと、梓は『メランコリー』を目一杯下手クソに歌って一言、「これでいいわけ。フン、変なの、アンタたちの音楽」と言ったという。

ただ、梓は拓郎はレコーディングには来なかったと話している。

この曲の作曲は拓郎だが「緑のインクで手紙を書けばそれはさよならの合図になる」と書かれた喜多条忠の作詞もヒットした。

それまでフォークの作詞家だった喜多条に「お前に歌謡曲の作詞はムリだろ?」と言う拓郎の挑発に喜多条が奮起して作詞を手掛けたもの。

1976年、梓も紅白歌合戦で歌う際、この曲の短縮を要求されNHKともめたが出場した。

いろいろあったんですね




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posted by aritama at 13:26| Comment(0) | 1976年のヒット曲