2018年03月06日

和田アキ子(古い日記)

和田アキ子


大阪市天王寺区出身の歌手、タレント

天王寺区にある大阪市立真田山小学校を卒業後、私立城星学園中学校へ入学。

そのまま私立城星学園高校に進学するも父親が勝手に退学届けを出したため、在学期間はわずか3日間で中途退学となった。

小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。

174cm(デビュー当時)の長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ社長・堀威夫直々にスカウトされる、当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪と神戸三宮で活動していたが実際にデビューできたのはボーカルの和田とオルガンの夏のみであった。

芸名の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は当て字である。

デビュー当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。

1968年10月25日、「星空の孤独」でレコードデビュー。


古い日記


1974年2月25日に発売された和田アキ子の18枚目のシングル。

作詞 安井かずみ 作曲 馬飼野康二

和田の代表曲のひとつとして知られている。

吉村明宏による「あの頃は ハッ!」というものまねで有名であるが、「ハッ!」のタイミングは和田本人が歌唱する時とは異なっている。

随所に入る「ハッ!」という掛け声は、スティービー・ワンダーを意識したものである。

wikipedia

曲は覚えているけど曲名を忘れていて、古い日記てフォークソングみたいな曲名だなと思ってしまいました。曲を聴いて、なんだこれだったかと思いました。

この曲はかなり有名な曲ですが、オリコンでは44位でした。やはり吉村明宏のものまねが有名にしたのかもしれないです。





posted by aritama at 12:31| Comment(0) | 1974年のヒット曲

2017年05月17日

麻生よう子(逃避行)

麻生よう子


大阪府吹田市出身の元歌手

大阪成蹊女子高等学校1年生の秋、歌手になる事を目指し自ら退学届を提出し上京。

1974年にデビュー曲『逃避行』がロング・ヒットし、その歌唱力が評価されて同年の第16回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。

1979年には、グロリア・ゲイナーのカバー曲「恋のサバイバル2」がスマッシュ・ヒット、布施明の「恋のサバイバル -I WILL SURVIVE-」と競作曲になり話題となった。

結婚後は引退し、郷里の大阪吹田に居住しているという。


逃避行


1974年2月21日発売の麻生よう子デビューシングル

作詞:千家和也 作曲:都倉俊一

100位以内には通算27週間ランクインし、14.8万枚のセールスを記録、麻生自身最大のヒット曲となる。

wikipedia

この曲は大ヒットではありませんが、ロングヒットしましたので、私もこの曲も麻生よう子も記憶に残っています。

本人が歌っている動画はありませんでした。曲をお楽しみください。



にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
良い曲だと思った人は左斜め上カッチとお願いします


エッセンシャル・ベスト 麻生よう子

にほんブログ村 音楽ブログ レコードへ
レコードブログランキング


posted by aritama at 14:22| Comment(0) | 1974年のヒット曲