2016年03月30日

朱里エイコ(北国行きで)

朱里エイコ


東京都出身の歌手

16歳で単身渡米。ボブ・アルシルバーに師事。アメリカ、ハリウッドで当時有名だったプロデューサー、トーマス・ポールが来日した際、大勢の中からオーディションに合格し、ダウンタウンのエルコース・ホテルで初舞台を踏む。

この年から2年間の契約で、ラスベガスを中心に各地のショービジネスにデビュー。

リノ、レイク・タホ、ハワイ、シアトル、シカゴ、ニューヨークなどの一流ホテル・クラブで活躍した。

まだ無名だった彼女は常にアメリカのランキング上位40曲を歌えなければならなかったという。ラスベガスではサラ・ヴォーンと一緒に舞台を踏んだ。

日本に帰国後レコードを出したり、ワンマンショーを開いたりしていたが、さっぱり人気が出なかったため、2度目の単身渡米。

当時、彼女のショーを観た専門家たちに言わせると、「彼女の持ち味が生かされるほど、当時の日本は進んでいなかった」とのことだった。

以前とは違う自分を試したかったエイコは、グループに所属せず単独のエンターテイナーとして勝負することを決心。

ホテルとの契約、バンドの編成、バンドメンバーに給料を払ったりと、すべてを一人でこなさなければならなかった。ラスベガスのリヴィエラ・ホテルなどでショービズに身を投じる。

エピソード

ラスベガスのステージで歌っていたある日、偶然リンゴ・スターが遊びに来ていた。彼女の歌が終わると同時に彼はアンコールを繰り返し、スタンディングオベーション。「食事でもしないか?」と誘われたが、彼女は断ってしまったと。その時のことについて「あのときはまだ純情で、よくわかっていなかった。もし断っていなかったら、第二のオノ・ヨーコになれたのに」と後年語っている。

虚血性心不全のため自宅にて死去。56歳没。


北国行きで


作詞山上路夫、作編曲鈴木邦彦

1972年の大ヒット曲

第23回NHK紅白歌合戦に初出場する。

wikipedia






リトル・ダイナマイト~ベスト・オブ・朱里エイコ


posted by aritama at 13:19| Comment(0) | 1972年のヒット曲