2016年06月23日

平田隆夫とセルスターズ(ハチのムサシは死んだのさ)

平田隆夫とセルスターズ


音楽グループ

武蔵野音楽大学卒の平田隆夫が、元グループサウンズのルビーズに在籍した菊谷英二らと結成。

1971年8月に「悪魔がにくい」でデビューし、オリコンチャートにおいて翌1972年1月より5週連続1位を記録。

歌詞に内田良平を起用して同年2月に発売された「ハチのムサシは死んだのさ」は、その寓話的な歌詞などにより連続ヒットする。

同曲は歌詞を「ハエ」に変えて殺虫剤のコマーシャルソングにも使われ、その年の第23回NHK紅白歌合戦に初出場した。

1974年、二人の女性ボーカルが脱退し、セシリア(本名・大石セシリア)が加入。5人編成で「生きながらブルースに葬られ」などをリリース後、1976年にRVCへ移籍。同年を以て解散した。


ハチのムサシは死んだのさ


この歌は平田隆夫とセルスターズにとって2枚目のシングルである。俳優の内田良平が発表した詩集『おれは石川五右衛門が好きなんだ』の中の「ハチのムサシ」という詞に、セルスターズのバンドリーダである平田隆夫が曲をつけた。

詞は太陽に挑んで負けて死んでしまったハチの物語で、学生運動を示唆したものだとも言われているが真実は明らかではない。

歌の前奏と間奏に入るスキャットは、平田のアイデアで管楽器の代わりに入っている。

オリコン週間8位

wikipedia



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posted by aritama at 16:09| Comment(0) | 1972年のヒット曲

2016年04月29日

ビリーバンバン(さよならをするために)

ビリーバンバン


東京都国立市出身の菅原孝、進の兄弟2人によるフォークデュオ

青山学院大学の学生であった進が友人達四人組のバンドとして結成。翌年メンバーチェンジが行われ、孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなる。

その頃から、アマチュアバンドに物凄い腕前の持ち主がいるとの噂が音楽業界関係者の間に広まり、浜口庫之助の指導を受け、紆余曲折を経てビリーバンバンは孝と進による兄弟デュオとして、「白いブランコ」でキングレコードよりメジャーデビュー、20万枚を超える売上となり、一躍フォークシンガーの代表的存在として人気を得る。


さよならをするために


テレビドラマ『3丁目4番地』の主題歌として、石坂浩二によって作詞、坂田晃一によって作曲され、1972年2月10日発売。

当時、人気の低迷していたビリーバンバンにとっては「白いブランコ」以来の大ヒット曲となった。

しかし、当時のフォーク歌手の風潮として、他人の作詞、作曲したものを歌うのは一種の恥であると受け取る面があり、ビリーバンバンのメンバー・菅原進は、当初、この曲のレコーディングをボイコットしたという逸話がある。

累計では約80万枚を売り上げた。

1972年の第23回NHK紅白歌合戦にこの曲で初出場した。

wikipedia

作詞が石坂浩二さんとは知りませんでした。石坂浩二さんはいろいろな才能があるんですね






さよならをするために [EPレコード 7inch]


posted by aritama at 18:13| Comment(0) | 1972年のヒット曲