2019年05月16日

赤い鳥(竹田の子守唄)

赤い鳥(竹田の子守唄).jpg


赤い鳥


1969年に結成された音楽グループ。1970年代を中心に活動し、1974年解散。

メンバーは、後藤悦治郎(ギター)、平山泰代(ピアノ)、山本俊彦(ギター)、新居潤子(ボーカル・ギター)、大川茂(ベース)の5名。

グループ名は鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』からとった。

各人がボーカルを担当することができ、美しいハーモニーが魅力的なグループであった。

各地の子守唄・伝承されている歌などを美しいコーラスワークで聴かせる傍ら、トニー・マコーレイなどの曲提供によりアルバムを発表するなどいわゆるソフトロック的な音楽性も兼ね備えていた。

1969年11月、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。

「竹田の子守唄」、「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得した。

1970年4月に渡欧、ロンドンでレコーディングを行う。

6月にシングル「人生」、アルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャーデビュー。

1971年2月発売の「竹田の子守唄/翼をください」が発売3年で100万枚を突破するヒットになった。

1974年9月に解散。後藤・平山夫妻は「紙ふうせん」、山本夫妻と大川は「ハイ・ファイ・セット」、渡辺は「ハミング・バード」を結成した。


竹田の子守唄


1971年2月5日に発売された赤い鳥のシングルレコード

現在の京都府の被差別部落に伝えられた民謡、およびそれを基にしたポピュラー音楽の歌曲である。

日本のフォーク、ロック歌手達によって数多く演奏されている。

そもそもは住井すゑの『橋のない川』が舞台化される際、音楽担当であった尾上和彦が被差別部落の一つである京都市伏見区竹田地区で採集した民謡を編曲して使ったもので、それが竹田地区の部落解放同盟の合唱団のレパートリーとなり、フォーク歌手達にも広まったと考えられている。

尾上が採集したのがたまたま竹田地区であったので、「竹田の子守唄」とされた。

それ以前は題名が付いていなかった。

他のフォーク歌手が歌うのを聴き、赤い鳥も歌うようになった。

最初は、この曲の由来や意味も理解していなかったが、ヒット後に背景を調べ自分達のものにしていった。

1971年2月5日にシングル・カットして3年間でミリオンセラーとするが、被差別部落絡みの楽曲であったために日本の放送局はこの楽曲を放送したがらなくなり、いわゆる「放送禁止歌」として長い間封印されることになったが、1990年代に封印は緩和され、赤い鳥の解散後に結成された紙ふうせんを始め、多くの歌手によってカヴァーされている。

赤い鳥のメジャーデビュー曲「人生」は、「竹田の子守唄」の歌詞を変更したもの(替え歌)であった。

原曲の歌詞では意味が分かりづらいという判断から歌詞が変更されたものの、ヒットはしなかった。

しかし、東芝レコードの新田和長ディレクターの判断で、原曲の歌詞のまま発売したところ、ヒットとなった。

中華圏では、世界の平和を願う内容の歌詞がつけられ「祈祷」というタイトルで歌われている。

ジュディ・オングが父親による中国語詞で歌いはじめたのが最初で、のちに王傑ら台湾人歌手によってカバーされ広く普及した。

wikipedia

綺麗な曲だな、いい曲だなと聴いていましたが、詞の内容を理解すると、ずいぶんと悲しい曲でした。

誰が作詞し誰が作曲したのかもわからない京都府に伝わる民謡でした。その元歌の動画がありました。初めて聴きましたが違いますね!赤い鳥のアレンジが凄く良かったことがわかります。

動画のコメントに、「子守歌じゃない。守子歌だよ。貧乏な家の娘が学校にも行かせてもらえず、金持ちの家の子の子守をしながら歌った歌。アメリカの黒人のブルーズのようなもの」とのことで納得しました。

一番最後に詞とその内容を掲載しましたの読んでみてください。

赤い鳥のメンバーだった紙ふうせんのカバーと、山本潤子と伊勢正三のデュエット、倍賞千恵子のカバーを掲載しました。山本潤子はハイ・ファイ・セットのメンバーで、同じ赤い鳥のメンバーだった山本俊彦と結婚して新居潤子から山本潤子に変わりました。

台湾語のカバー、ジュディ・オングと王杰&王韻嬋も掲載しました。





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紙ふうせん


山本潤子、伊勢正三


倍賞千恵子


元唄



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ジュディ・オング


王杰&王韻嬋


守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし

盆がきたとて なにうれしかろ
帷子(かたびら)はなし 帯はなし

この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら

はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて
むこうに見えるは 親のうち

1番
子守も自分が子供の頃は、楽しいお盆休みがあったけど、それも無い。
お盆が過ぎると秋が深まり、雪がちらつき寒くなって、子供が泣きます。

2番
子供の頃楽しかったお盆休みが来ても、何もうれしくは無い。
きれいに着飾る服も無い。

3番
この子はよく泣いて、子守の私を苛めます。
奉公先の親から叱られないかと心配で、やせる思いです。

4番
早く奉公の期間が終えて、奉公しているこの場所から、親の住む家に帰りたい。
向こうに見えてるのは親の家なのに、こんなに近くても奉公だから帰れない。


posted by aritama at 14:47| Comment(0) | 1971年のヒット曲
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