2018年08月20日

梓みちよ(メランコリー)

梓みちよ(メランコリー).jpg


梓みちよ


福岡市博多区出身の歌手、女優。

1960年代から1970年代を中心に数曲のヒットを飛ばした。

アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。

1960年、福岡女学院高校1年修了で宝塚音楽学校に入学。

同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格し、上京し契約する。

約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューし、歌手として本格的に活動を始める。

『夢であいましょう』の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞。

また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。


メランコリー


1976年9月21日発売の梓みちよのシングル・レコードである。

作詞: 喜多条忠、作曲: 吉田拓郎

1976年大晦日の『第18回輝く!日本レコード大賞』で編曲賞を受賞。

続いて『第27回NHK紅白歌合戦』に、梓みちよ自身同曲で通算10回目の出場を果たした。

翌1977年に入ってからもロングヒットを続けた。

オリコン11位

wikipedia

この曲は、吉田拓郎の作曲ですが、エピソードがありました。

梓みちよのレコーディングでは「アナタは歌がうまいから困るんです。僕としては、もっと下手に、そう、思い切って下手クソにやってほしいんです」と言うと、梓は『メランコリー』を目一杯下手クソに歌って一言、「これでいいわけ。フン、変なの、アンタたちの音楽」と言ったという。

ただ、梓は拓郎はレコーディングには来なかったと話している。

この曲の作曲は拓郎だが「緑のインクで手紙を書けばそれはさよならの合図になる」と書かれた喜多条忠の作詞もヒットした。

それまでフォークの作詞家だった喜多条に「お前に歌謡曲の作詞はムリだろ?」と言う拓郎の挑発に喜多条が奮起して作詞を手掛けたもの。

1976年、梓も紅白歌合戦で歌う際、この曲の短縮を要求されNHKともめたが出場した。

いろいろあったんですね




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posted by aritama at 13:26| Comment(0) | 1976年のヒット曲
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