2019年08月28日

伊藤麻衣子(見えない翼)




伊藤麻衣子


愛知県名古屋市中川区出身の女優、タレント、元アイドル歌手

1981年に雑誌『BOMB』に特集記事が掲載されるが、この時は年齢を1歳若くごまかしていた。

1982年、ミスマガジンコンテストの初代グランプリを受賞。

1983年、シングル「微熱かナ」でアイドル歌手としてデビュー。

その後、シングルとアルバムを多数リリース。

元々本名の伊藤麻衣子で活動していたが、女優の川上麻衣子と混同されることが多くなったため、1995年に芸名をいとうまい子に変更した。


見えない翼


1985年2月1日に発売された伊藤麻衣子の八枚目のシングルヒット曲

作詞:売野雅勇 作曲:鈴木キサブロー

ドラマ『婦警候補生物語』の主題歌

Wikipedia

その当時、伊藤麻衣子は、薬師丸ひろ子に似ていると言われていたそうですが、どうでしょう似ているでしょうか?

童顔ですよね、今でも若く見られて「奇跡の50歳、永遠の18歳」とも言われている。とのことでした。

この曲は、伊藤麻衣子の最大のヒット曲のようです。『婦警候補生物語』に主演し主題歌を唄っています。『婦警候補生物語』は「スチュワーデス物語」のブームに便乗した企画だったそうです。






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posted by aritama at 15:28| Comment(0) | 1985年のヒット曲

2019年08月21日

りりィ(私は泣いています)

りりィ(私は泣いています).jpg


りりィ


福岡県福岡市出身のシンガーソングライター・女優

小学校3年から東京で育つ。母は中洲でバー「翡翠」を経営、父は米空軍の将校で、りりィはハーフ。

父はりりィが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したと伝えられた。

10歳で家族と一緒に上京。

東映の児童劇団に1年半所属。

東映在籍中の1966年、緑魔子主演の『非行少女ヨーコ』にちょい役で出演。

高校には行かず、彼女が17歳のとき母が亡くなり、生活のためにスナックで弾き語りをする。

「りりィ」という芸名はブラブラしているときに仲間が付けたあだ名が元。

「ィ」がカタカナなのは、なんとなく自分で変えたという。

1971年、下田逸郎のアルバム『遺言歌』に参加。

イギリスのフォークシンガー、ドノヴァンの楽曲「ラレーニア」(Lalena)から採ったレーニアという名前で「ひとりひとり」という楽曲のリードボーカルをつとめる。

本格的に曲作りを始めたのは山上路夫からの勧めがきっかけ。

本来は3オクターブの音域を持つ美声だったが、風邪をひいた日に二升近く日本酒を飲み、朝まで歌い続けたら翌日声が潰れたという。

1972年2月5日、20歳のとき、東芝音楽工業よりアルバム『たまねぎ』で歌手デビュー。


私は泣いています


1974年3月5日に発売されたりりィのシングルレコード

作詞、作曲:りりィ

オリコン3位、97万枚を越える大ヒットを記録する。

この曲は遊びで作った英語詞によるブルース「アイム・クライング・オン・ザ・ベッド」に自ら日本語の歌詞をつけたもので、当初は知り合いだった研ナオコに歌ってもらうつもりで事務所に持参したところ、「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、しかたなく歌ったという。

Wikipedia

その当時のりりィの動画はありませんが、レコードジャケットを見ると、ハーフなだけあって美人ですね

りりィのハスキーボイスが、風邪と歌と酒によるものだとは知りませんでした!それにしても二升近く日本酒を飲みとは、凄い酒豪ですね、驚きました。

この曲は、りりィの最大のヒット曲で、ベストテンに入ったのは、この曲だけだと思います。有名な曲です。

研ナオコとは親友のようで、カバー動画がありました。








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posted by aritama at 14:05| Comment(0) | 1974年のヒット曲